ごあいさつ
どうも、ばびです。
ばびろぐをご覧いただき、本当にありがとうございます。
▼私の経歴を超ざっくりとまとめると、こんな感じです。
大学卒業後、新卒で地方公務員(町役場職員)として勤務し、裁判所や市役所への転職活動を経たのち、現在は公務員を退職し、「受験指導」と「サイト運営」により生計を立てています。
ばびの年表
小学校〜中学校時代
小学校1年生でサッカーを習い始め、サッカーばかりの日々。
中学校に進学するタイミングで地元のクラブチームからオファーがあり、中学校では部活動ではなくクラブチームでサッカーをしていました。
高校受験〜大学受験時代
高校受験に際し、特にこだわりもなかったので、家から一番近かった偏差値40程度の高校へ進学。
中学時代のクラブチームのメンバーの9割が同じ高校に進学したため、高校でも一緒にサッカーがしたいと思いサッカー部に入部を決意。
進路については高校1年生の冬の時点では、「将来は、お菓子や調理の専門学校に進学し、パティシエになりたいな〜」とぼんやり考えていた程度。
ところがどっこい。
2年生に進級するタイミングで準選抜クラスのなかでも成績がかなり悪かったものの、人数の関係で文系選抜クラスに入れられることに。(文系志望が少なくて人数調整のために選抜クラスへ入れられましたw)
国立大学の合格を目指す選抜クラスに入ったことがきっかけで周りにいい意味で流され、急遽進路を変更し、2年の夏には「国立大学に合格するぞ!」という意気込んでいました。
そこから徐々に勉強モードに切り替えていくわけですが、当時の模試の成績は全科目の偏差値が約40程度。
高校受験も名前を書けば誰でも入学できる常に定員割れの高校だったので、一切受験に向けての勉強はしていませんでした。
そんなわけで、高校2年夏の時点で中学レベルの知識もないというカオスな状態でした。
毎日20時まで部活をした後、塾に行き11時まで勉強して家に帰って1時まで勉強して寝るという生活を受験まで続けました。
自分なりにできる限りの努力は積み重ねたつもりでしたが、センター試験本番では、下記のように凄まじい酷い得点をたたき出し(笑)、第一志望の国立大学を受験さえすることができず、私立大学(Fラン)を受験しました。
倫理 | 69点(100点中) |
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日本史B | 42点(100点中) |
国語 | 93点(200点中) |
英語 | 119点(200点中) |
英語リスニング | 28点(50点中) |
生物Ⅰ | 27点(100点中) |
数学Ⅰ・A | 29点(100点中) |
数学Ⅱ・B | 16点(100点中) |
計 | 423点(900点中) ※セ得点率47% |
結果的に、私立大学には無事合格することができ、Fラン私立へ進学しました。
Fラン私立大学に入学〜大学編入時代
それなりに努力をしたにも関わらずFラン大にしか入学できなかった悔しさとやるせなさに苛まれながらも大学生活が始まりました。
いざ大学が始まると、4月は新歓で仲良くなった友人と授業をさぼり、ほぼ毎日ボーリングやカラオケオールをするなどとにかく楽しくて遊びまくっていました。
しかし、4月末頃には惰性で過ぎゆく日々が嫌になり、突如『何のために大学に進学したんだとう。』という自己嫌悪に狩られ、一度大学でしたいことや目標をノートに書き出してみようと思い、そこから気持ちを新たにしました。
それから、大学の講義にも真面目に出席するようになり、1回生のときには多くの時間を簿記・販売士・FP・秘書検定・TOEICなどの資格勉強に費やしました。
資格取得に転じた理由は、当時、本当にやりたいことが見つからなかったので、「片っ端から資格取得の勉強を次から次へとしていくうちにやりたいことが見つかるのではないか?」と安直に考えていたからです。
そして、1年の夏頃にはもともとの第1志望であった国立大学にどうしても行きたいと考えるようになりました。
そこで、3年次編入という制度を知り、第1志望の国立大学への3年次での編入を目指しました。
大学編入後〜町役場に入庁
初めて努力が実り、無事に大学編入試験に合格しました。
しかし、大学編入をゴールにしており、大学編入できたことに満足してしまい、いわゆる燃え尽き症候群のような状態が続きました。
大学編入後のその先の将来のプランを明確に考えていなかったので、将来やりたいことなども特にありませんでした。
そこで、編入した大学では周囲の友人がみんな公務員を目指していたので、消去法で無難に公務員にでもなっておこうということになり、私も公務員を目指しました。
編入生のため、4年生の前期まで単位に追われるなか、なんとか3ヶ月の勉強で公務員試験に合格でき、出身県外の役場に入庁しました。
役場に入庁〜転職活動時代
正直いうと、特にやりたいことがあって役場に入庁したわけではなかったので、役場に入庁してからも、なんだかしっくりこず働きながら他市町や裁判所職員の採用試験を受験することにしました。
転職活動の結果としては、裁判所職員や市役所に内定をいただきました。
転職活動中に難病と診断され、考え方が180度変わった
役場で働きながら転職活動をしているとき、ひどく肩こりに悩んでいたため、整形外科を受診しました。
すると、念の為MRIを撮ろうという話になり、結果的には、医者に脊椎系の難病であると診断されました。
まさかの難病診断に、私は病気の不安から少し精神的に病んでしまいました。
→結果的に、数年後、誤診であることが判明し、難病ではありませんでした。
当時、難病と宣告された際、将来的に寝たきりになる可能性も示唆されており、病気のことを受け入れ、今一度自身の将来を深く考えさせられました。
思い返せば、役場に入庁したばかりの頃から、士業開業に少し憧れを抱いていました。
悩みに悩み、吹っ切れた私は、「人生一度きりだし、リスクを背負ってでも、新しいことに挑戦してみたい」と考えるようになりました。
転職活動中でしたが、「他市町や裁判所職員に転職したとしても、同じ公務員であることに変わりはないし、やっぱりこれはなんか違う。」と感じ内定を辞退し、勢いで役場も退職しました。
町役場を退職
町役場を辞めてから、最初は、士業開業するなら弁護士になりたいと考え、思い切って資格スクエアの講座(90万円くらいした)も受講しました。
しかし、法科大学院を出ていない私にとって、予備試験の壁は高く、打ちのめされました。
そこで、現実的に合格を狙える士業開業し得る難関資格として、最終的に目標としたのが「司法書士」です。
令和3年2月7日から本格的に司法書士を目指し、勉強を開始しました。
現在は、独学で勉強を進めています。
とにかく今は司法書士試験に合格し、開業するという夢に向かって努力しています。
また、並行してこれまでの私自身の経験をベースに、大学編入や公務員試験について、受験生に向けて発信しています。
さらには、ココナラなどの外部サイトを活用し、面接カードや小論文などの添削指導も行っています。
私のブログにかける想い
「偏差値が低く、専門学校に落ちるようなやつでも、努力を続けていたら必ず努力は報われるんだよ」ということを身をもって証明したいと思っています。
「あの専門学校でさえも不合格だったばびさんが合格できたんだったら私もできるかも?」
と、一歩前進しようとするあなたの背中を押してあげられる存在でありたいという思いでブログを日々運営しております。
とにかく自身のリアルな体験をベースにお伝えするということにこだわっています。
最後に
まずは、ここまでご覧いただきまして、ありがとうございます。
長くなりましたが、私の書いた記事が少しでも誰かの悩みを解決することに繋がれば幸いです。